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日本映画の想像力

☆エンジェルのほほえみ(花岡京子)


             日本映画の想像力


   ハリウッドの映画を観ていていつも思うのは、俳優の演技が自然なことと食
  事シーンが結構多いこと。どの俳優も総てが名優という訳ではないのでしょう
  が、役柄を自然にこなしている。自然にこなしていると見えるのは、つまり役
  に融け込んでいる証拠。役どころを理解して演技しているので、ドラマの進展
  に沿った人間描写がきっちり出来上がり、脚本さえ大狂いがなければ、たいて
  いさすがと思わせる一巻の映画に仕上がっている。

   それに引き換え、日本では何か皆が一種の勘違いをしているのでは。大作に
  よく出てくる高倉健や吉永小百合が、寡黙な硬骨漢、耐える男、薄幸の女を演
  じていますが、皆さん何か感動を呼び起こされますか?表情が乏しく、どの役
  もだいたい似たようなワンパターンの表現しかできていない。
 
   苦労話であってもスペクタクルであっても、人間心理と情感葛藤の下敷きが
  あって、その感情の爆発を通じて感動が呼び起こされるというごく当たり前の
  セオリーが踏まれていない。制作者側はそんなことはないというかもしれませ
  んが、映画を観ていて、この辺の描き方が淡白というのか踏み込みの足りなさ
  に、いつももの足りないものを感じるのです。

   『鉄道員(ぽっぽや)』とか『ホタル』の高倉健に、ダスティン・ホフマン
  を重ねた場合、キャラクターとか国民性を無視しても、演技の仕方の何かが根
  本的に違うと思うのは私だけでしょうか?

   吉永小百合の薄幸の女役なんて、ハナから笑ってしまいます。美人で知的、
  趣味のいいファッションを身に着けておいしいものを普段食べている人が、い
  きなり娼婦役をやってもほとんど演技なんて宙に浮いている感じ。辛酸をなめ
  た身体の線の崩れ具合や世をすねた、挑みかかるような、うつろな目付きなん
  かは、想像力と演技力でそこそこカバーできるはずだけれど、演技能力がどこ
  かで止まってしまったのでしょうね。

   スカイ・パーフェクトTVで時々上映される昭和30年代の日活映画に出てくる
  吉永小百合の、ほとばしるような伸びやかさを見るにつけ、齢を重ねて今もな
  おヒロインを演じているけれど、その演技の歯車はどこで狂ったのだろうかと
  思うのです。

   日本映画の制作人に欠けているのは、役をこなす演技力ではなく、人間の営
  みを知る想像力ではありませんか。
   映画の中の食事について書こうと思ったのが、つい日本映画を代表する健さ
  んと小百合女史の演技感想に終始してしまいました。食事の話は次回に。


  (2001.5.29)

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