人間はどんな顔をしてもタダ
人間はどんな顔をしてもタダ
人間は、どんな顔をしてもタダなんですね。中には整形したり、エステに頻
繁に通ったりと、コストをかけるケースもあるけれど、本来の親譲りの「素」
のままであるなら、タダ。天からの授かりもので、万人に均質同一という訳に
はいかないものの、顔の造作の出来具合いや人相の善し悪しについて誰も文句
を言うはずがなく、往来を歩いても咎める人はいない。当たり前の話です。
しかし、人品骨柄という言葉がある通り、何も喋らなくても発散される雰囲
気があるもの。顔が総てではないが、目は口ほどにものを言うように、人相が
時として人物像総てを語っててしまうもの。
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持てと、かのリンカーンが言ったというこ
とですが、幾つであっても自分の歩んできた人生の足跡が如実にきっちり表わ
れているのが、顔(人相)です。今現在、顔が当人自身の現在の人生のあり様
をそっくり物語っているという事実。人品骨柄も結局、その人の歩んだ人生を
映しているのでしょうが、繰り返し引き起こされる長年の感情の振幅の集積が、
いつしか本人だけの人相として定着してしまいます。
外部から侵入するばい菌に、生体防御する白血球の機能と同じ様に、大脳生
理学的に精神上の変化を顔が忠実にかつ見事に映し出しています。つまり、人
の笑いとか、怒りの顔とかは自分が意識しても制御できるものではなく、自然
に素顔が正直に出てしまう。特に笑い顔は、不思議と人柄まできっちり表わし
てしまいます。
誰も言わない。顔の出来、不出来に対して。しかし、心の状態も現在の生活
上の出来事全部、顔一人が背負ってくれています。口元であれ、頬を走る皺た
ちが無防備に独り歩きして、自分を語っているものです。
人は見かけによらない、とも言われますが、要は人間の顔、どんな表情をし
てもタダだけに、各人がいかようにもコントロールでき、つくれるということ、
そして自分の『看板』をぶら下げて歩いていることを忘れないようにしたいも
のです。
2001.1.30