wit(ウイット)な笑み
wit(ウイット)な笑み
最近、パリに行くたびに感じることがあります。デパートのショッピングや
レストランでのちょっとしたやり取りでも英語が通じること。この10年ほどで、
パリでの英語使用や英語での会話が占める比率は、様変わりを見せています。
EU統合や“第2母国語”としての英語の急速な広がりからくるその浸透は、
もはや誇り高きパリジャンやパリジェンヌにも防ぐことができなかったのだし
ょうか。
もっとも、私がパリで版画を買い入れて日本に持って帰る場合、バイヤーに
アメリカ人が入ってくるので、フランス語をそう必要としません。基本的な日
常会話は100ほどの英単語でやっていけるのです。
パリの美術界は、軽やかでヒップな感覚と、きらびやかな画風が注目を集め
ています。これから夏場、ひと時の静寂を経て、秋に向け、作家達の息遣いが
ギャラリーから聞こえてくる時期でもあります。
外国でいつも感心するのは「wit な笑み」に出会うこと。人の表情で、怒り
顔というのは、攻撃的で不快で、人を威圧しようとするためか、少し芝居がか
っているところがあります。ところが、笑い顔というのは、人柄を素直に見事
なほどに表すもの。豪快な笑いであっても、含み笑いであっても、笑った時の
目は口ほどにモノを言い、口元は表情をキッチリ表しているのです。笑顔のい
い人をうらやましく思います。
witな笑いとは、どんな笑いなんでしょうか。それは、目で密やかに笑うこと
と、私は思っています。「全部言わなくても、あなたの言うことはよく分かる。
リチャードもそういう意味で言ったのよ、バカね、ウッフフフ…」。状況が十
分に理解できて、それでいて抑えた気持ちから漏れる情感の笑み。そういう笑
いがパリにもニューヨークにもあります。それも年配の女性に多い。厚手の上
質な別珍を思わせる触感といえば、ちょっとオーバーかしら。
私も歳を経て、こいう笑いが日常会話の中に自然に出てくるようになれば、
それはそれで味のある人生だなあと思ったりする次第です。
(2000.7.7)