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毎日がレンブラントの絵を観る思い?!

☆エンジェルのほほえみ(花岡京子)


           毎日がレンブラントの絵を観る思い?!


 
   日本の江戸時代初期に当たる17世紀に、オランダで活躍した画家レンブラン
  トの作品は、読者の皆さんも学校の教科書なんかで一度は観ておられますね。

  『ユダヤの花嫁』『夜警』『トゥルプ博士の解剖』『放蕩息子の帰宅』などが
  よく知られています。完成当時はそう評価されなかった大集団の肖像画『夜警』
  は、観るたびに精妙な明暗を基調として、活写された人物に圧倒される思いが
  します。

   聖書を題材にした『放蕩息子の帰宅』でも、慈愛に満ちた人物の表情に、観
  ていて胸が熱くなります。350年ほど前に描かれた絵画の中に描かれた人物の姿
  に、現代の人間が観ても万感の感動を呼び起こす力があります。

   一転して、350年前のオランダの市民生活を題材とした絵画の世界と、東京・
  山ノ手線車中の人物の重さと深みと、どれだけの違いがあるのだろうかと考え
  ます。レンブラントが精緻に描き上げた人物の表情の奥に見せる「人間観察」
  の視点はそっくり、350年後の東洋の一角でも見事に生きているのです。
 
   あらゆる芸術作品が、時の流れに風化しないのと同じ意味で、レンブラント
  の視線の延長には、時間の経緯に関係なく人間の本質を見る視線があります。
  東京・山ノ手線だけではなく、職場でも、学校でも、街角でも、レンブラント
  の“絵の世界”と同一のものがあります。毎日がレンブラントの絵を観る思い
  ?!をしているのです。

   人の笑いとか怒りの顔とかは、自分でいくら意識してもコントロールできる
  ものではなく、自然に本来の素顔が正直に出てしまいます。人品骨柄という言
  葉がある通り、何も喋らなくても、その人固有の発散される雰囲気があります。
   「目は口ほどにものを言い」のたとえ通り、骨柄はものの見事に人柄をも映し
  てしまいます。
 
   自分の顔というのは、意識してもしなくても、現在の人生のありようをそっ
  くり語っていると思えてならない。いつもいつも眉間に縦ジワを寄せ、辛い感
  情の高ぶりと、そうした感情の振幅に常に揺れていると、いつしか眉間ジワの
  人相ができてしまう。繰り返し引き起こされる心の振幅の度合いが、そっく
  り自身の顔の表情として定着してしまうのです。

   いきなり、オランダ絵画の巨匠レンブラントを卑近なたとえ話に出してしま
  いましたが、人間の営みとそこから派生する様々な姿は、数百年の時空を超え
  ても変わらぬものがあるということをあらためて認識した次第です。


  2000.11.3

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